1986年生まれのわたし。
もう40歳も近いですが、
「この歳になるまで、当たり前のことを全然してこなかったなぁ」
と痛感しています。
いわゆる社会のレールに全然乗ってこなかった。
珍しい生き方だけに、興味を持たれることも少なくありません。
この記事では、
「社会のレールから外れた人生」に不安や恐怖を感じている人
逆に「外れたい」と思っている人
に向けて、わたしの経験談をお話したいと思います。
「社会のレール」と思われるもの
- 大学
- 就職
- 結婚
- 子育て
一般的にこのへんが「社会のレール」ではないでしょうか。
わたしは高校が私立大学の附属高校で、そのままエスカレーター式に大学進学。
しっかり4年で卒業して、そこまではレールに乗っていました。
しかしその後は就職することなく、20代は音楽に勤しむ。
30代に入っても結婚せず、もちろん子どももいません。
ついでに言うと、運転免許も持っていない(笑)
今はブログを中心とした執筆活動で生計を立てているフリーランスになりました。
つまるところ、履歴書にかけることがほとんどない人生です。
大丈夫「社会のレール」はあんがい偏見・誤解
- 中退
- 離職
- 離婚
などを経験すると、
「社会のレールから外れてしまった!」と恐怖に襲われる人も多いでしょう。
しかし、よく調べてみると、
- 大学進学率 約50%
- 離職率 3年で約3割
- 生涯未婚率 男性28.25% 女性17.85%
といった数字が出てきます。
大学進学率は高いと言えば高いですが、それでも半分は高卒。
離職も決して珍しくない。
結婚していない人も、男性は3人に1人、女性は5人に1人ぐらいいる計算です。
つまりひとつひとつを紐解くと、
「レールから外れた人は、いっぱいいる」
ということに。
実は過度に絶望するほど、めちゃくちゃ珍しいことではないんですね。
逆に言うと、レールから外れた人生でも幸せな人はたくさんいるし、その方法はたくさんあると言えるでしょう。
まぁ、わたしのようにトリプルビンゴの人はちょっと珍しいかもしれませんが(笑)
でも「社会のレールから外れてやろう!」はおすすめしない
わたしは自らすすんでレールから外れたクチ。
だから誰かを恨んだり、後悔というのはほとんどないです。
たまに「寂しいな…」と思う時はありますが(笑)
とは言え、実は「レールから外れてやろう!」とか「人と違うことをしよう!」と一念発起したわけではありません。
自分がその時々でやりたいことをやっていたら、こうなっていたという感じです。
もし10代、20代の青年が同じような人生を歩もうとしていたら、わたしは止められないでしょう。
やっぱりそれはそれなりに、幸せを感じることもあるからです。
しかし辞めたほうがよいパターンもある。
それは「”あえて”外れてやろう」という心持ちがある場合。
なぜならその決断は、じぶんの内側からくる「好き」とか「得意」ではなく、他人の評価を軸にしているから。
人はみんな、
「特別な何かになって、人から認められたい」
という欲望を持っています。
実はその欲望を叶えるのにいちばん努力がいらない簡単な方法が、レールから外れること。
レールから外れる=珍しいわけで、何もしなくてもただ辞めるだけで「特別」をゲットできます。
ところが何もしないとは、つまり努力もしない状態。
だからただレールを外れるだけでは、実際に本人の能力や人間性が伸びることがないわけです。
そんな努力しない日々が積み重なっていくと、だんだんとジリ貧になっていきます。
もし今「レールから外れたい気持ち」がある人は、心の中をよく観察してみてほしいと思います。
ポイントはBeではなくDoに着目すること。
例えば「会社をやめて陶芸家になりたい」と思ったとする。
陶芸という行為(Do)が心から好きならOKです。
逆に陶芸家という存在(Be)なりたいと思ったら黄色信号。
職業とは、その定義に人から認められることが含まれます。
仕事をお金に変えるには、人からの評価や称賛が必要だからです。
ところが逆に、一角の陶芸家になる人は他人からの評価ではなく、陶芸そのものに真摯に打ち込んだ結果であることが多い。
Jリーガーは「サッカー選手になりたい」より「ボールを蹴りたい!」が先にくる人。
お笑い芸人は「お笑い芸人になりたい」より「人を笑わせたい!」が先にくる人。
その行為(Do)が好きという強烈なモチベーションがなければ、なかなかその世界で生きていくのは難しいです。
だからぜひ「なりたい」より「やりたい」を大切にしてほしいと思います。
そうでないと、最悪「やりたいこともせず、人からの評価もなく、次から次へとレールを乗り換えるだけ」の人生になってしまう。
わたしはレールから外れて20年ぐらいになりますが「なんだかんだ、好きなことをやってこれたな」という自負があります。
その納得感は、安堵感にも似たポジティブな気持ちを作ってくれる。
「社会のレール」の多くは偏見であり、外れたとて、まだまだ大丈夫
一方で他人からの評価を得たいがために自ら外れるのはおすすめしない
それが社会のレールから外れたわたしが思う、現時点で結論かなと思います。
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